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酷な記憶 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]

現在、この5月末から6月初めにかけての東独の家族旅行の話を連載中。

今日の舞台はこちら。うちのドイツ人の母親の母方の祖父の家と工場である。ドイツ東部ザクセン州のチェコとの国境近くにある。
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叔母の幼い頃の記憶を辿る旅を80歳の誕生日にプレゼントしためぎたち。それは、叔母が長い間探していたいくつかの場所を突き止めたうちのドイツ人がそこへ連れていき、そこで家族みんなで記憶の話を聞こうというもの。ここ数年のうちのドイツ人の祖先研究の成果が実る瞬間でもある。滞在2日目はまずこの祖父の家を訪ねることにした。

幼かった叔母とうちのドイツ人の母親の姉妹の記憶では・・・まあ幼かったと言ってもうちのドイツ人の母親の方は11歳くらい、叔母は7歳くらいだったのだが・・・この工場は巨大でものすごいお金持ちということになっているが、写真を見る限りでは田舎の小さな工場で、現在名を残している大企業とは全く比べ物にならない。でも、それなりのお金持ちだったのだなということはよく分かる。だからこそ当時こうして写真を何枚も残していて、それを手がかりにあれこれ探すこともできるのだし。
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さて、祖父の家はこちら。
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この家が、2階部分がスレートで化粧されてはいるがそのまま残っていた。80年前の建物をこうして見つけられるというのは石造りの文化ならではのことね。この建物、今も使われている。
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実は年老いた姉妹にとって、この家を訪ねるのは懐かしいとともにとても辛いこと。というのは、この家で戦争末期に祖父がソ連兵に銃で撃ち殺されたからである。
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当時、姉妹の母親は2度めの結婚相手と子どもたちと彼女の実家に住んでいた。その結婚相手はこのすぐ近くのやはり工場持ちの男性なのだが、なぜそこに住まず実家に住み続けていたのかはもうわからない。

とにかくソ連兵がドイツに乗り込んできたとき、家族を守ろうとした祖父が撃ち殺され、その後祖母や母親がソ連兵にレイプされたようなのだが、当時11歳だったうちのドイツ人の母親の方は自分は隠れていて何も見ていないと言い(あまりにも酷く辛い出来事で、忘れたくてその記憶が抜け落ちてしまったのかもしれない)、もっと幼かった叔母の方は全員がそこにいて祖父が殺されるのを見たという。一人一人の肩に銃を突きつけたことも覚えていると言う(こちらは本当は隠れていて見ていないけど、後で話を聞かされて見たかのように覚えているのかもしれない)。つまり、記憶が二人の間で完全に食い違っていて、真相は全くわからない。真実は、ソ連兵に祖父が撃ち殺された、という部分のみである。レイプに関しては、叔母は幼すぎて何が起こっているのかよくわからなかったのだとか。

当時と若干変わっているが、窓の作りは同じだわね。うちのドイツ人の母親と叔母にはここに祖父母とのとても幸せな思い出ととてつもなく酷い思い出とが残っていて、今は全く違う人がここで全く別の歴史を刻んでいるのだと思うと、人の世って儚いなあとつくづく感じる。
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この近くには川が流れていて、そのほとりに祖父のお墓があったと言う。その辺りに行ってみたが、2002年の洪水で流されてしまったようだった。それは年老いた姉妹にとって相当なショックだった。大好きなおじいちゃんのお墓が跡形もないのだものね・・・
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本当に本当に、人の世ってなんて儚いのかしら。

近くには、もう使われていない立派な家屋の跡が。
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その昔チェコとの国境の町として栄え、税関があった場所もこのとおり。
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使われなくなって木々に埋もれた立派な橋も。
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これが東側でなかったら、もしかしたら今もきれいに整備されて観光地になっていたのかもしれない。旧東独にあったからこそ、こうして置き去りにされ、今見ることが出来ているのかもしれないな。そんなことを流れる川を眺めながらふと思った。
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)


♪ おまけ ♪
6月13日、ふと見ると181181という面白い数字が並んでいたのでパチリ。
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181181番目のniceをくださったのはsheriさん。いつもご覧くださる皆様に感謝。
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