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2014年夏 日本の旅 ブログトップ
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787に乗る [2014年夏 日本の旅]

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今日からぼちぼちと日本旅行記を書き始めようと思う。と言っても、初っ端から帰りの飛行機の話になるのだが。

この夏日本へ行こうと決めたとき、よほど高くない限りJALかANAかルフトハンザを使うつもりで飛行機を探した。もっと安い便もあるだろうが、この3社ならエコノミーでもスーツケースを一人2つまで預けられるので、日本から物資を持ち帰るのに非常に有り難いのである。うちのドイツ人はスーツケース1つで事足りるから、めぎが3つ使えるようなもの。(実際はさらにうちのドイツ人のスーツケース3分の1をめぎの荷物が占めたのだが。)

今年の春からANAのデュッセルドルフから成田への直行便が就航していて、もちろんそれも検討した。3社ともフランクフルト=羽田という便があったが、めぎ家的には羽田に飛ぶ必要はなく、デュッセルドルフから直接飛べる方がはるかに便利。しかし、デュッセルドルフ=成田の直行便はめぎたちの予算を遙かに超えていた。フランクフルト=羽田なら予算的にもOKなのだが、デュッセルドルフからフランクフルトへ移動する時間を考えると、デュッセルドルフからヘルシンキまわりで飛ぶ方が時間的に早い・・・しかも、その方が体力的にも楽そう、ということで、ヘルシンキまわりのJALを予約した。一人当たり全部で900ユーロ弱であった。デュッセルドルフから成田への直行便より一人当たり4~500ユーロくらい安かった。そのお金をやはり日本で使いたいわよね。

予約した便はフィンランド航空とのコード・シェア便で、行きはフィンランド航空の飛行機だった。そのため行きはスーツケース一人1個まで。ありゃりゃ・・・そんなわけで日本へのお土産は限定せざるを得なかったが、帰りはJALの飛行機で、日本で安いスーツケースを2個購入し、4個満タンにしてきた。

前置きが長くなったが、これが帰りのJALの飛行機。
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そう、あの787である。
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残念ながら行きの飛行機(エアバス330だったと思う)は全く撮影しなかったので比較にならないが、787は新しい機体であるため清潔で綺麗だし、座席の足下に余裕があって、非常に快適だった。エアバスも別に悪くはなかったが、必要最小限という感じで787のサービス精神には及ばない。それはちょっとしたことなのだが、ヘッドレストの大きさや角度、足置き、ドリンクホルダーやシートポケットの外側についたそこその大きさの2つのポケット(ペットボトルがここに入る)、USBポートなど、めぎ的には至れり尽くせりだった。

成田を飛び立って、見下ろした日本。
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田んぼの緑がなんて綺麗なのかしら。
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ああ、美しいな・・・さようなら・・・涙が出た。
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これからこんなに飛ぶのよねえ・・・ヘルシンキまで9時間の旅。ちなみにデュッセルドルフまたはフランクフルトまでの直行便なら約12時間。この差が結構大きい。それでもデュッセルドルフまで直行できるなら12時間乗ってもいいけど、フランクフルトまで12時間乗って、さらにバスに乗り換えて3時間ほどかけて帰宅することを思えば、ヘルシンキまわりは時間的にも体力的にも悪くない。(アルファベット表示なのはドイツ語を選択したから・・・日本語も英語もフランス語も中国語も、とにかく色々な言語を選べるようになっていた。それも、ちょっとしたことだけど、いい気分。)
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うちのドイツ人は早くも数独を始めていた。
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ふと見ると下に雲・・・
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ああ、山を越えているのね。
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そして新潟上空を通過。
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日本、ほんとうにさようなら・・・
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それから程なくして、機内食。フィンランド航空のも悪くなかったけど、JALの機内食は本当に日本人向けでとっても美味しい。ゴーヤの入ったサラダに掛けるドレッシングはさっぱりしていて美味しく、右端のゆで卵まるごとの上にスモークサーモン、真ん中の煮物、左のスイカやメロンのフルーツ、どれもデパ地下並みの美味しさ。紙コップの中は味噌汁。飲み物には梅酒をロックでいただいた。梅酒とお願いしたらどのようにお作りしましょうかと聞かれ、本当に至れり尽くせり。
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メインは和食。豚丼のようなものだった。もう一つがカレーハンバーグとのことで、カレーの苦手なめぎ家は二人とも和食にした。
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デザートにハーゲンダッツのマンゴーソルベが出てきた。
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やっぱり航空会社は日系がいいわねえ。いや、めぎだって、かつてはドイツに向かうならルフトハンザを好んでいたのだが、旅の始めと終わりもドイツに浸ろうとか、ドイツ語を聞きたいとか話したいとか、そういう時期はとうに過ぎ去り、今や旅の始めも終わりも日本に浸りたい、という気持ちでいっぱいなのだ。小柄で親切なフライトアテンダントさんにうちのドイツ人もでれでれだったし。ヨーロッパのフライトアテンダントさんは普通サービス精神のかけらもないからねえ。

うちのドイツ人は飽きもせず数独を繰り返していた。難易度のハードなのをクリアして嬉しそうにめぎに報告して写真を撮らせたり。
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それから3~4時間くらい寝たかも知れない。ふと外を見ると、ロシアの上空に面白い雲が。
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この787のいいところは、機内が寒すぎないこと、乾燥しすぎないこと、そして窓ガラスの遮光が開閉式ではなく色を変えるシステムで(電子シェードというのかな)、つまり寝ている人を邪魔せずに外の景色を楽しめること。国際便では機内を暗くするために窓を閉めることを強要されることが多いが(これが日系じゃない航空会社の場合は強制されず、そのため明るすぎるということも多々あるのだが)、目が覚めている場合ちょっと外が見たくなるのが人情。遮光の窓を開けて光が差し込んで人の睡眠を邪魔することなく、こうして深い青色越しとは言え外の景色を見続けられるというのは非常に楽しかった。
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到着2時間前くらいになってまた明かりがつき、くまもんの機内食が配られた。
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この焼きおにぎりも・・・
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熱々で配られたこのスープもとても美味しかった。
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それから程なくして、長い長いロシア上空を通過し終えてとうとう海が見えた。
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たくさんの島でできているスカンジナビア。
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ヘルシンキも見えてきた。
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ああ、ヨーロッパの畑だわねえ。田んぼと違って四角じゃないし、面積がずっとずっと大きい。
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こうしてヘルシンキに到着し、1時間半ほどの乗り換えでまた搭乗。デュッセルドルフまでの飛行時間は2時間。

飛行機を撮るのを忘れたが、エアバスでもボーイングでもなく、知らない飛行機だった。
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フィンランド航空の機内食。長距離線じゃないので比較にならないが、雰囲気がお分かりいただけると思う。意外にお洒落。パスタサラダで、味はさっぱりしていて悪くなかった。
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そして、曇りのドイツ上空へ。
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ドイツの畑。
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ドイツの街並み。ただいま~
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こうして日本の旅は終わったのであった。

撮影: Nikon 1 V1 + 10mm(F2.8)
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日本旅行 ~序章その1~ [2014年夏 日本の旅]

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今回の日本訪問は、めぎにとっては2年ぶり、うちのドイツ人にとっては4年ぶり。2年前はほんの4泊程度の滞在で、学会訪問で慌ただしく過ごした。4年前は4週間の滞在だったが、最初の2週間は交換留学の引率で、次の2週間はうちのドイツ人とドイツの友人夫婦の引率で富士登山をしたり青森や会津に旅行に行ったりし、添乗員のように仕事をしていた。日々の忙しさはその2回とあまり変わりないが、今回の旅は目的が全く違う。

今回の日本の旅でまず特筆したいことは、観光を全くしていないこと。めぎはともかくドイツから9000㎞も旅をして日本までやってきてどこも観光しないうちのドイツ人って、なんという日本通。まあ彼は初めて日本へ来た1984年から今までの間に南は鹿児島の桜島から北は北海道の網走まで旅をしていて、日本海側も福井・金沢・能登半島、さらに北上して男鹿半島なども回っており、見所は既にほとんど網羅しているのだ。3週間の滞在の中でめぎが観光らしきことをしたのは一人でナツパパさんに案内していただいた富士塚と、最終日にうちのドイツ人と二人でちらっと見た成田山くらい。

では何をしたか・・・日本に到着して最初の約10日間のうち3泊4日は、東京近郊の温泉旅館に引き籠もっていた。それぞれの温泉旅館の庭を散策しただけで、あとはその温泉を心ゆくまで楽しんだ。日本文化を体験するという意味でそれが観光といえば観光かも知れないが、何かを見るというよりそこにいる時間をゆっくり味わったという感じ。温泉旅館についてはまた日を改めて書こうと思う。
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その他の6日間は、毎日ずっと友人知人に会っていた。それも日中と夜に毎日2つの会合を設定し、その合間を縫って買い物とチラシ集めと写真・ビデオ撮影も。それらは教材用で、チラシは例えば旅行パンフレットや路線図、買い物は筆ペンとか千代紙とか、撮影は電車のアナウンスとか乗り換え案内とか。さらにうちのドイツ人の欲しいものを手に入れるためにそれの売っている店を探すという任務まであって(これは友人の手助けを大いに借りた)、非常にハードな毎日であった。猛暑で多くのことを諦めてしまったが・・・そんな慌ただしい中でめぎのスケジュールに合わせて会ってくださった方々には感謝の言葉もない。

これはそんな友人の一人が案内してくれた小料理屋さん。日本の繊細な優しい味付けの料理が懐かしいだろうと、カウンター10席くらいしかない小さくて人気のお店を早くから予約してくれていた。ご病気を押して会ってくれて、小さめのスーツケースが満杯になるほどのお土産をくれたその友人には、御礼のしようもない。それにしてもなんと美しい盛りつけかしら。
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めぎの主な友人知人は皆東京にいる。だから、東京には切り無く会いたい人がいるし、懐かしく訪ねたい場所も限りなくあるのだが、限られた時間でできることはほんの少し。多くの方に不義理をしてしまった。連絡もしなかった方が大勢いて、かつて非常に親しくしていた人やかつて非常にお世話になっていた方には失礼極まりない。しかし、今回はうちのドイツ人連れでめぎだけの旅ではなく、彼の会いたい人やおつきあいや行きたいところもある訳で、それを10日間にやりくりするのは至難の業。別行動で会った人もいれば、敢えて時間を合わせて一緒に行ったところも。

これは一緒に行ったところの一つ、うちのドイツ人の知り合いのお宅に招かれたとき。以前デュッセルドルフに駐在していたその日本人のご家族は、とっても温かく迎えてくれた。うちのドイツ人にはめぎと関係なく日本人の友人が何人もいるのだが、この家族がその一つ。子どもたちがすっかり大人になっていてびっくり。美しく成長したお嬢さんに今アルバイトしているというお料理屋さんにも是非是非来てくださいと言われたのだが、訪ねる時間がなかったのが本当に心残り。ご家族揃ってドイツが懐かしそうで、思い出話に花を咲かせながら奥様の手料理を美味しくいただいた。
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うちのドイツ人は一人で息子にも会ってきた。これは彼らが一緒に回ったという九品仏というお寺と自由が丘のベニス(うちのドイツ人の撮影・・・D50 + 18-200mm)。年月を経て、息子と直接約束を交わして日本で会える日が来るとは、非常に感慨深い。人生は回っていっているのだ・・・誰の上にも。
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ところで、東京滞在は非常にコストがかかる。食費も交通費も高いし、10日間ずっとホテルに泊まるというのはなかなかに大変だ。快適なホテルだとすぐに予算オーバーだし、安ホテルに泊まると部屋が狭くて息ができない。しかしながら、誰かのうちに泊めてもらうとそのうちの人に気を遣うこととなり、多少はそのお宅のリズムに合わせなければならなくもなり、長旅の体調維持にはかなりしんどい。そういう意味で、今回東京で泊めてくださった友人には深く感謝する・・・彼女は一人暮らしの広いマンションをめぎたちに開放してくださり、ご自分はその間友人や親御さんのうちに泊まってくださったのだ。なんというご親切。既に書いたが、御礼にうちのドイツ人がドイツから持ち込んだ羊のチーズを使って夕食を作ったのだが、後ろにめぎたちとその友人の洗濯物がかかった中で食事。そんな気を遣わない関係でいられたのも、非常に有り難かった。
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東京最後の夜は横浜でめぎのかつての教授と会った。何が食べたい?と聞かれ、焼き肉をリクエスト。なにしろそれまでたくさんお魚を御馳走になったので、そろそろ肉を食べたいという気分だったのだ。韓国系のお店でまっこりとホルモンなどをがっつりといただいた。
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それから横浜のどこかのビルの屋上にある飲み屋さんへ。教授の知り合いが建築をデザインした、雨天の場合はお休みになるという面白いお店。ご主人は高校の先生との兼業だとか。かつての教え子さんたちが数多く飲みに来てて、アットホームでとても印象に残った。
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この教授はめぎがお世話になった何人かの先生方の中で最も若い人で、今や失礼ながらすっかり友達のようになったのだが、もうすぐ定年を迎えるそうでこれまた感慨深い。お元気そうでなにより。時間ができたらドイツにゆっくり遊びに来て欲しいなあ。そうしたらいっぱい一緒に行きたいところがあるのになあ・・・そうそう、めぎがC.D.フリードリヒを好きになったのもこの教授の影響なのだが、5月にリューゲン島に行ったとき、この教授へのお土産にリューゲン島の石を拾ってきていた。そのお土産を渡したときの喜びようといったら!ただの石なんだけど、我々にとってはとってもとっても特別な石なのだ。なんだか、そういうことを分かち合える人がいて、めぎは本当に幸せだと思う。

さらにもう一軒梯子して、めぎの弟弟子でかつて彼のドイツ留学中にめぎ家で1~2年ほどお預かりした教授の愛弟子を呼び出し、まったりと。今や彼はめぎの母校の非常勤講師で、将来は教授になるのだろう。再会は嬉しかったけど、土曜日の夜に教授の電話一本ですぐに電車に飛び乗って馳せ参じる彼を見て、日本で仕事をしていくのって大変だなあ・・・と思ったり。
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あとで個別に記事にしようと思っている話を除き(それがまた膨大なのだが・・・いったいいくつの記事になることやら)、これで東京滞在が終わった。

で、ここから今回の日本旅行の主目的の後半10日間に入る訳だが、長くなったので続きはまた明日。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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日本旅行 ~序章その2~ [2014年夏 日本の旅]

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現在、この夏の日本旅行記連載中。

序章だけでも記事2つになってしまうほど長い日本の旅。旅の後半10日間のテーマは「家族」。そう、今回の日本訪問の目的は家族の訪問。それを主目的に日本へ行くのは、めぎがドイツに滞在して以来初めてのこと。思えば、前半10日間の東京滞在期間だって、うちのドイツ人にとっては家族訪問であったのだが。とにもかくにも後半10日間は、めぎにとっては長年の不義理を経て意を決して行う本当に密度の濃い家族旅行。うちのドイツ人が非常にうまくサポートしてくれて、大感謝。

まずは仙台の妹夫婦の家へ。
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白いBMWに乗って義弟の地元仙台に生きる妹。めぎの知らない日常がそこにあった。
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日本では特に珍しくもない風景なのだと思うが、妹が住んでいるところを自分の目で見て、自分の日常との違いを実感し、それによって、妹がもはやかつてめぎのあとをついてくるだけだった妹ではなく本当に大人になって自立したのだと悟るよい機会になった。
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5歳も年上で、両親が本当は一人っ子になるはずだっためぎのどうしてもという嘆願に屈して妹を生んでくれたということもあって、めぎは幼い頃から理想の姉になるよう厳しく教育されたし、めぎにとって妹は半分自分の子どものようなもので、いくつになっても自分のあとをタオルを抱えてついてくる赤ちゃんのようなイメージが抜けない。だから、親が子どもにしてしまうのと同じような過ちもしでかす・・・ああそうしちゃいけないのよ~こうした方がいいのよ~と余計なお世話の助言ばかり繰り返して最近は空回りするようになり、ちゃんと子離れならぬ妹離れをして、妹を対等の大人として認めて新しい関係を構築しなければ。それが旅の目的の一つだった。

今回の日本滞在で最初の妹との接触は、実は仙台訪問に先だって東京の浅草で。彼女の属するオペラ研究会の発表会があって、それを見に行った。舞台上の妹はとっても楽しそうで、素敵なドレスを纏ってとっても美しかった。
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普通だったら、花束でも持って楽屋へかけつけ、素敵だったよ~と記念撮影したりするのだろう。しかし、公演前後の妹とバタバタ話しても良いことがないのは以前経験済み。この日も妹はいっぱいいっぱいで忙しく、公演後めぎ家もすぐに別の会合に向かわなければならなくて時間的にも慌ただしく、直接の接触は敢えてとらず観客席から鑑賞しただけ。しかし、こうして外から妹が打ち込んでいるものを見るというのは、めぎの子離れならぬ妹離れ(=新しい関係の構築)に非常に役立った。

それから仙台へ行き、挨拶もそこそこにまず連れて行かれたのは義弟の姉の家。そこに義弟の両親と兄弟の家族が一同に集い、ピアノ教師のお姉さんの伴奏で妹がドイツ歌曲(モーツァルトの魔笛のパミーナのアリア)とイタリア歌曲(ドニゼッティのアンナ・ボレーナだったと思う)を歌ってくれたのだった。
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まさかそんなミニコンサートがあるとは思っていなかったし、妹の専門のイタリア歌曲はともかくドイツ語でドイツ歌曲に挑戦してくれるとも思っていなかったし、その歌声はとても可愛く、そのアリアはとっても悲しく美しいので、めぎは聞きながら泣いてしまった。ああ、めぎの妹・・・ありがとう。

それから歩いて数分の義弟の実家へ。そこでは義弟のお母様が素晴らしい料理を用意してくださっていた。めぎたちのみならずお姉さんのご主人も襖を開けて、おおお~!と声を上げたほど。この写真は準備中に撮ったもので、最後にはこの倍の料理が並んだ。
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いつもは使っていない日本間をうちのドイツ人のために片付けて準備してくださったそうで、感激。めぎにも、かつて幼い頃に父の実家で新年などに親戚中が集まったときの記憶が蘇った。家族の集いって、いいわねえ。嫁の妹には大変なこともあるのだろうけれどね。かつて母がその集まりを苦にしていたことも思い出したり。
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仙台の料理の数々。美味しかった~!
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義弟のお母様のご実家は仕出し屋さんだったそうで、料理はプロフェッショナル。
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この他にも、ご実家が漁業に携わっていたお父様お手製の海鞘の酢の物やら、お寿司やら。海鞘をうちのドイツ人が難なく食べたので義弟の家族は大喜び。この他、全く写さなかったけど美味しいお酒や焼酎を次から次へと約5時間かけてたくさんたくさんいただいた。最後にはお母様がお抹茶を点ててくださり、仙台ならではのずんだ餅も。素晴らしいおもてなしを準備してくれた義弟とご家族に心から感謝。

夜には妹の甥っ子たちと花火。甥っ子は全部で5名。賑やかだったなあ。花火をしたのは下の3人で、上の2人はもう花火を卒業したらしくタブレットでゲームをしていた。9年前の妹の結婚式の時にはその上の2人がまだ2~3歳くらいだったのに、月日の経つのは早いものだ。
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うちのドイツ人が、これ、全員が自分の親戚だと思うとすごいことだねえ・・・とポツリ。そうなのだ、この大家族がめぎの親戚になったのは、妹の果たした偉業なのだ。
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こうして妹を取り巻く環境を間近に見ることができた。先日妹からメールが来て、このお盆はまた義弟の実家にみんなで集まって鰻を食べたり(これはまたお父様が鰻をさばくところからなさるはずで、きっとすっごく美味しいんだろうなあ)、お墓参りしたりすると書かれていたが、めぎには今やその様子が手にとるように分かる・・・甥っ子たちの元気な声まで聞こえてくるようだ。こんな立派なおうちに嫁いだんだね。逞しく嫁業を務めている妹はとても素敵だった。
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その次の日には妹の家でゆっくりまったり過ごしたのだが、妹はこうして土鍋でご飯を炊いておひつに移したり、魚焼きやらお鍋やらたくさん使って朝食を用意してくれた。
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朝食にお味噌汁を作る生活・・・日本ではたぶん至って普通の、でもめぎの日常とはかけ離れた別世界の朝食。めぎにとってお味噌汁とは、ごくごくたまにドイツで夕食に豚汁を作る他は、日本で温泉旅館に泊まったときに朝食に出るもの、という位置づけなのだ。うちのドイツ人は朝食を食べないし、ましてドイツでは朝から日本食は食べないし、めぎもいつも朝は慌ただしくて自分一人のために手間暇掛けてお味噌汁を作るなんてことは絶対にしない。でも、妹は、毎朝6時に起きて夫のためにお味噌汁を作っているのだ。それが彼女の日常なのだな・・・
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お味噌汁は出汁が利いていてとても美味しかった。具も日々工夫していて、味噌の加減もよく安定していて、既に彼女の味が完成されているのが分かった。
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そうそう、仙台に行ったとはいえ、仙台の観光は全くしていない。それは、9年前に妹の結婚式で仙台を訪ねた折にくまなく回っているからでもあるのだが。仙台の妹の家には2泊しただけだが、1日目は密度の濃いお祭りのような家族の集いを経験し、2日目はゆったりのんびり妹と時間を過ごし、非常に有意義な時間となった。お招きありがとう。

それから3日間の間を置いてめぎとうちのドイツ人だけで津波のあとを視察してまわり(その話はまた後でゆっくり書きたいと思う)、今回の旅の主目的、札幌へ。めぎのルーツを辿る旅。
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旅の計画当初、札幌に最初に行って目的を果たしてからゆっくり遊んで回ろうかという案もあったのだが、時差や疲れを抱えたまま行くのは危険だといううちのドイツ人の助言で、旅の最後に設定。主目的を最後に残したまま時間を過ごすのはなんとなくスッキリしない気もしたが、結果的には非常によかった。事前に妹とゆっくり過ごせたし、日本的リズムに慣れることができたし。

故郷の実家を訪ねることを人は帰省と呼ぶが、めぎの実家は引っ越していてめぎが住んだ家ではなく、めぎが住んだ地域でもなく、全く知らない家である。住所も覚えられないし、住所を聞いても札幌のどの辺かぴんと来ない。ベランダから見える景色も、めぎの知らない風景。
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美味しい食事をたくさん用意して歓迎してくれたが、食器もめぎが知らないものばかり。
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8年間も札幌を訪ねなかったのにはもちろんそれなりの訳があるのだが(その前も、めぎは札幌へほとんど行ったことがない・・・家を出てから今まで訪ねた回数は片手の指で足りるかも知れないほどで、しかも今回の4泊5日間の滞在はめぎが家を出てから最長の滞在であった)、時間というのは色々なことを解決してくれるもので、めぎも素直に楽しめたし、両親も素直に喜んでくれていたように思う。これまで、会わなければ親不孝だと考えて無理して会ってもその度に嫌な思いをするだけだったが、しばらくの断絶を経て、ようやく自ら会いたいな、行きたいな、と思って計画した今回の訪問は、めぎの心持ちがずいぶん異なったのかも知れない。
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妹がめぎが札幌入りする前日から実家に戻って準備を手伝い、めぎが札幌を発った日の翌日まで残って両親を手伝ってくれたことには感謝のしようもない。また、仕事多忙の中週末に札幌を訪ねてこれまた黙って色々サポートしてくれた義弟にも。
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しかしそれは同時に、上げ膳据え膳の歓待を受けてはっきりいえば実家で右も左も分からないめぎに対し、妹たちにとってはほとんど勝手知ったる家であるということであり、同じ子どもとして寂しさも感じたのは事実である。まあ、妹は結婚するまでそこに住んでいた訳だし、義弟も札幌駐在の折に妹と知り合ってその当時から何度も来ている家であるのに対し、めぎはここに住んだこともなく、さらに今は9000㎞も離れた異国にいて8年間も訪ねなかったのだから当然なのだが。そして、妹夫婦の手助け無しではこうも和やかにはいかなかっただろうなとも正直思うし。

この8年に両親は歳をとり、8年前にできたことができなくなったりもしていた。しかし歳をとるというのは体力が衰える分だけ賢くなることでもあり、体が回らない分を補って親同士助け合う知恵もついていた。そういう親を見ることができたのも大きな収穫だった・・・なにしろめぎには多感な時期に親が仲違いしていた不愉快な記憶が心に重く残っているのだから。
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ところで、めぎがブログをしていることをめぎの両親は知っているが、父は決して読まないのだとか。それは、父によると、日記のようなものはかつては一人で思いをしたためるものであって決して人に見せるために書いたものではない、だから、人の日記を読みたいとも思わないし、人に公開するというのも理解できない、とのこと。なんと大人なのかしら。なんとしっかり子離れできているのかしら。めぎの父は本当に賢いと思う。かねてよりうちのドイツ人が、めぎの賢さは父親譲りだとめぎに言い続けてきたが(めぎが本当に賢いのかはなんとも言えないが、うちのドイツ人によれば賢いということなのだが)、いやいやどうして、めぎは父にはかなわないな。
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こうして主目的の札幌滞在を終え、千歳からまっすぐ成田へ。両親の住むマンションの前で母と別れ、札幌駅まで車で送ってくれた父とは駅前の車の中で別れた。二人ともとても淋しそうで、めぎは本当に親不孝だなあと感じた。申し訳ないことだ。まあお互い様の部分ももちろんあるのだけど。それから妹がさくっと切符を買ってホームに行けるように改札まで付き添ってくれたのだが(言い換えると、そうしてもらわないとスーツケースをいくつも抱えてストレスの多い慌ただしい出発時に心許ないほどめぎは新しい札幌駅が全く不慣れで、外国の駅にいるようなものだったのだが)、妹と別れる瞬間にどどーっと涙が・・・これは本当に、不思議なほどに。妹よ、本当にありがとう。生まれてくれて、ありがとう。妹を生んでくれた両親に感謝したい。

そして最後にちょこっとおまけのように、でも旅を無事に終えたご褒美のように、素敵な方々と素敵な時間を過ごして日本の旅が終わった。
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以上が今回の旅の概要だが、さて、なんの話から書こうかしらねえ。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V1 + 10mm(F2.8)
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