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1月後半のめぎ家の食事 [食べ物・飲み物]

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2017年ももう一ヶ月が経過。ああ、早いわねえ・・・今日は1月のめぎ家の食事をどうぞ。

ボルネオから帰ってきて、何が食べたかったかと言えば豚肉料理。マレーシアはイスラムの国なので、豚肉が全くないのだ。中華の店でこれは豚肉だと言われて食べてみたけど、めぎにはとても豚とは思えず・・・そんなわけで、まずは豚肉料理。これは大きな豚のもも肉を茹でたもの。うちのドイツ人と分けて、夕食2回分。食べるときはザウアークラウトと茹でジャガイモと一緒に盛りつけたが、その写真は無し。
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こちらは遅ればせながらのクリスマス料理。うちのドイツ人の息子がいるときに買ったので鴨のモモ3本だが、12月中旬に突然あっという間にうちを出て行ったので食べる機会を失って、冷凍しておいたのを料理。
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鴨肉は大きくて、これ1本も一度には食べきれず、3本をめぎ家二人で4日かけて食べた。付け合わせはジャガイモ団子と甘酸っぱく煮た紫キャベツ。鴨の肉汁をかけて食べるジャガイモ団子はめぎの大好物♡肉より何より美味しい。
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1月16日の週は忙しくて、上記のものを温め直してローテーション。その合間に豆のスープ。これも何度も温め直しをして何度も食べた。
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そしてあっという間に金曜日。20日はマルクト市場で美味しそうに見えた仔牛レバー。付け合わせはリンゴとタマネギのソテーと、マッシュポテト。
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土曜日サッカーニュースを見ながらの食事は鶏肉。久々にご飯を炊いて。
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日曜日はうちのドイツ人が作ったスープをお椀に入れてスターターとし・・・
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牛タンの煮込みがメインディッシュ。ソースは西洋山葵味。
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週の途中で出てきた鶏のスープ。出汁は卵を産まなくなった雌鶏をじっくり煮出して取ったもの。ご飯を入れるのは、パスタスープ感覚。
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あとは温め直しの食事が続き、また土曜日がやってきた。この日うちのドイツ人はフリカデレ(ドイツのスパイシーなハンバーグ)を作り、また何かのスープをお椀に入れて出してくれたが、メインは札幌の実家から届いた筋子とタラコと明太子、そしてボケて写っている薩摩揚げ。
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冬の食事は色もなくて、撮影意欲も湧かない。こんな食事があと2か月くらい続く・・・うーん、春は遠いなあ・・・


撮影: D600 + 35mm(F1.8)、D600 + 20mm(F1.8)、D600 + 58mm(F2.4)
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澄んだ空気 [小さな出来事]

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そろそろ1月も終わりなのね・・・
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ここ2週間ほど晴れの日が多く、それはすなわち冷え込む日が多く、飛行機雲が多く見られた。
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移動中に、ああ1月だなあと思うような凍てつく芝生を写したり。
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明るくなってきたような気がするけど、木々はまだまだ冬のまま。
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歩道の植え込みのところの自転車になにやら張り紙されているのが目に入った。
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花壇の上に駐めると春の花の芽の邪魔だからどけてね、という内容。
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そうね、駐めた人は土しか見えてなかったんだろうな。今は何もかも枯れ果てているのだもの。

あまり降らなかった雪は凍り付き、ずいぶん長い間そのままだった。
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ワンちゃんは凍り付いた地面に何を嗅いでいるのかな。
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仕事に復帰した1月12日の日の出は8時半ちょうど、日没は16時52分だった。半月ほど経って、今日30日の日の出は8時10分、日没は17時22分。明るい時間の長さが突然劇的に変化し始めた1月後半。これは17時35分の撮影だが、まだほんのり明るい。12月には16時半には真っ暗だったのに。
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今週は曇りの日が多く、したがってちょっと冷え込みが緩むみたい。緩むと言ってもマイナスにならないという程度だけど。寒くても晴れている方が気分的にはいいわねえ・・・
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撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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ある贈り物 [小さな出来事]

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ある日、うちのドイツ人の叔母から突然こんなものが送られてきた。防火ブランケットである。
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どうしてこんなものが突然?それもどうしてうちに?

ひとしきりうちのドイツ人と首をひねりながら叔母の突飛さを微笑ましく語り合ったあとで、添えられた手紙を読み、なんとも切ない思いになったのだった・・・

手紙はなぜか唐突にうちのドイツ人の母親、言い換えると叔母の半分血のつながった姉のことで始まった。あなたのお母さんはとっても美しく見えるけど、ブーツをベンチに載せるのはどうかしら・・・といった感じのことが書かれている。以前にも書いたが、義母(うちのドイツ人の母親)は元「貴族」。義母の両親は非常に早くに離婚して義母は貴族ではない母方で育ち、叔母は再婚相手の子ども。半分だけの姉妹とは言え彼女たちは仲が良く、今でも頻繁に連絡を取り合っているのだが、幼い頃からお貴族様で優秀なお嬢様だった(らしい)姉と、普通の子どもだった(らしい)妹とは、ライバル関係でもあった。それが今でもこんな手紙からよく分かる。姉は美しいけどこの行動はどうかしら、という内容なのだ。
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上に「らしい」と敢えて書いたのは、そう二人は思いこんでいるけれど、うちのドイツ人から見ると、それどころかめぎから見ても、そうは言い切れないと感じるから。この叔母はなかなかどうして美しく、活発で利口で思いやりがあって、人生を謳歌しつつもちゃんと地に足のついた生活を築いたのだが、義母の方はどこまでも貴族でまわりの人のことにも気が回らず身勝手で、現実を見ず砂上の楼閣に暮らし続けているところがあるからだ。

さて、手紙は本題に入る。と言っても本題は防火ブランケットのことではない。うちのドイツ人が最近叔母に送ったある書類のこと。それについて叔母は1000回お礼を言うわ、と書いている。
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その書類というのは、叔母と義母の共通の祖父、つまり彼女たち姉妹の母方の祖父、うちのドイツ人の母方の曾祖父の直筆の履歴書である。以前にブログでちょっとご紹介したが、うちのドイツ人は数年前から自分のルーツを辿る調査を地道に続けていて、その過程で手に入れたのがこの直筆の履歴書の写真。ドイツのどこかの役所がうちのドイツ人の問い合わせに応じてスキャンして送ってくれたものだ。ズュターリン書体の筆記体で3枚にわたって書かれたこの履歴書をうちのドイツ人はタイプし直し、コピーとその「翻訳」を叔母に送った訳である。それに対するお礼が上の手紙。
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この祖父は、娘(つまりうちのドイツ人の祖母)が貴族と離婚して小さな孫娘(うちのドイツ人の母親)を連れ帰ったときからその二人を守り、娘が再婚してからも一家の大黒柱として共に暮らしていたようだ。当時の写真が数枚残っている。これは叔母がまだ乳母車に乗っているもので・・・
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これはちょっと大きくなってから。お人形を持っているのがうちのドイツ人の母親。
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そして手紙はさらに続く・・・
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おじいちゃんの履歴書を机の上に置いて、あのときのことを思い出しているの・・・おじいちゃんが1945年にロシア人に撃ち殺されて、私たちがみんな壁の前に立たされたときのこと・・・

そして、大きな空白。


うちのドイツ人はここまで読んで突然涙を浮かべた。ああ、自分はこのおばさんが大好きで、誰よりも幸せでいて欲しいと願っているのに、誰よりも優しい言葉をかけてあげたいと思っているのに、人生で最も辛く恐ろしかったときのことを思い出させ、またトラウマに引き込んでしまったんだな・・・


そうなのだ。7歳にしてそんな経験をした叔母が、そのときどれほど恐ろしい思いをしたか、それがその後の人生にどれほど影響を及ぼしたか、高度成長期とバブルの中で育っためぎには計り知れない。でも、ほんのちょこっと心理学的にこの叔母の行動を解釈して、切なくなる・・・今、もうすぐ80歳を迎えようとしているときに、思いがけず祖父の直筆を目にし、70年以上前のその時の恐怖をまざまざと思い出し、そして彼女が取った行動は、家族全員に防火ブランケットを送る、ということだったのだ。決して戸棚に仕舞い込まず、すぐ見えるところにかけておくようにと言う但し書きにマーカーまでつけて。そして、その祖父が殊の外可愛がっていたという姉とのライバル心まで蘇り、唐突に手紙に書き送るとは、ああ、叔母はなんて子どものように心が柔らかいのかしら。なんて繊細なの。

全く同じ経験をした姉妹は、それぞれの人生において全く別の方法でその恐怖をやり過ごしてきた。叔母は心配性で、ちょっとしたことにも過剰反応をするようになり、危ないと思えば防火ブランケットを家族全員に送ったりする訳だが、義母の方は何事も忘れ、何事もハッキリ見ず、自らは何もせずただただどこかにいるはずの自分を抱きしめて守ってくれる人を待つ、という人生を歩んだのだ。二人を見ていると、同じ出来事に対する人のリアクションってこれほどまで違うのかと感じる。叔母は祖父を少ない記憶ながら温かくも冷静に見つめているのに対し、義母の中では遠い遠い記憶の彼方の祖父は美化され、誰よりも強く誰よりも尊い人物として心の奥に光り輝いている。
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現実の祖父は、ソ連兵から家族を守り抜くことが出来なかったのだ。無力にあちらへ行ってしまった。家の壁の前に立たされた残りの家族に何が起こったのかは、姉妹は二人とも何も思い出せないという。それほど残酷で恐ろしいことだったのだろう。
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防火ブランケットはうちのドイツ人の手によってやっぱり戸棚に仕舞い込まれてしまったけど、きっと叔母の思いが彼を守ってくれるんじゃないかな。


撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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