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10月のめぎ家の食事 [食べ物・飲み物]

早くも10月末。今日は月末恒例のめぎ家の食事風景から。

10月初日は土曜日。サッカーニュースを見ながらの食事。手羽先とポテトサラダと白菜の漬け物と、その前日のサーモンのムニエルの残りをほぐしてふりかけ風にしたものとご飯。ご飯は今年Krauseさんにいただいたお米を炊いたもの。美味しくいただいてます♪
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その次の日の日曜日は、うちのドイツ人の友人がストラスブールからやってきた。彼女はめぎと同じく高校の教師で、交換留学の引率で。食後にここでデザートを食べながらあれこれお喋り。フランス語混じりのドイツ語、カッコイ~イ♪
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デザートはグリースという穀物で作ったカカオ味のプディングのようなものに、プルーンのコンポート。どちらもうちのドイツ人の手作り。
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それからインゲンと牛肉の煮込みスープの日やら・・・
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赤ビートのスープの日やらがあった。
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そして10月6日がやってきた。10月6日はうちのドイツ人の息子の労働局での面談の日。日本で言えばハローワークに該当する労働局に息子が登録してから約一か月。それからあれこれ手続きしようとして必要書類が足りなかったりして滞っていた話は一ヶ月前に書いた通り。それから一週間後の10月6日までに新しく起こったことは、高卒資格で職業訓練しても将来高給取りになるチャンスがないから、今すぐ職業訓練するのではなく事前に専門大学に行った方がいいかな、と息子が言い出したこと。それでこの日、労働局でその旨話し、職業訓練のための募集案内をストップしてもらったらしい。いや、まずはその昼夜逆転した生活サイクルを変えてもっと普通に勤勉にならなければ、大学なんて絶対に通えないし、単位も取れなくて卒業できないし、世の中の高給取りが行っているような激務も出来ないよ~と思うけど、それはまあ置いといて。

10月6日の夜は、ストラスブールからのお土産のフォアグラとイチジクのコンポートやら、ナスとヨーグルトのクリームとパンやら、サラダやらと・・・
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ドイツのハンバーグことフリカデレ。
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ドイツのハンバーグは普通ソース無しでいただく。この日にフリカデレを作ったのは、次の日のお弁当にするため。7日は姪の結婚式で早朝からハンブルクへ移動するので、道中につまめるフリカデレを作ったという訳だ。
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それからめぎ家はハンブルクへ行き、その後めぎのみ日本へ行き、戻ってきたら10月後半。めぎが留守にしていた一週間に起こったことは・・・

・ようやく子ども手当が受理された→振込は10月末で、9月分も支払われた
・ようやく納税番号が交付された→これでうちのドイツ人が子どものために積み立ててきた預金を贈与できた
・ようやく身分証明書が発行された
・自動車運転の練習場へ行ってうちのドイツ人の車をマニュアルで運転してみた→思いの外難しかったようで、マニュアルで免許を取る話は完全に絶ち切れとなった
・うちのドイツ人が息子に貸していた自転車が盗まれた→自転車はデュッセルドルフでは重要な足のため、息子にとっては必需品なのだが、新しい自転車をフリマに買いに行くと言ってもう2週間以上経ち、一向に買いに行く様子がない・・・どうせどこにも出かけないから、足も要らないみたい
・日本の高校の卒業・成績証明書の審査が一部終わって回答が来た→ドイツでは高校一年修了までにしか認められなかった!

↑この最後の件、簡単にまとめると・・・息子の日本の高校卒業証明は、どこかの通信教育制の高校ので、どうやら全く学校に行かなくても卒業できるタイプのもののようなのだが、ドイツの役所が言うには、ドイツの高校2年生で履修すべき自然科学の科目が足りないのだとか。だから、その科目を履修し直さないことには高校卒業には認められないんだって!

さらに、ドイツの高校卒業資格は大学入学資格にもなるのだが、日本の高校卒業資格は入試が含まれないため、ドイツの大学入学資格に該当させるためには、日本でどこかの大学に受かって大学生になるか、センター試験で平均62%の成績を取らなければならないんだって!!そして、そのセンター試験で選択した科目によって、ドイツで行ける大学が決まるのだとか・・・(簡単に言えば、数学や物理・化学を選択していない人は、理系の専門大学や学部には入れないといったことなのだろう。)

さらにさらに、もしドイツの大学入学資格を取り直すとしたら、帰国者専用の特別な学校に少なくとも3年間通った上でドイツの大学入学資格試験を受けなければならないんだって!!!

・・・この、ドイツ語でぎっしり3枚にわたって書かれた詳細な審査報告は、もちろん息子は読み切れず、うちのドイツ人が代わりに読んだ。この回答は、うちのドイツ人とめぎは既に予想していたことだが、息子にとってはものすごく大きな、ハンマーで殴られたような出来事だった。ドイツだったらもっと何事も簡単だと思ったのに・・・と本人がふと漏らしたほど。

3年も学校になど行きたくない。だから、ドイツで学校に通う案はボツ。でも、センター試験がどれほど難しいか、彼はよく知っている。しかし、センター試験で62%取らないことには、将来高給取りにはなれない。むむむむ・・・それじゃセンター試験を受けに帰国しなきゃ。11月中旬頃にでも帰ろうかな。

へえぇぇ~~ご帰国ですか!?いや、でも、センター試験で62%以上なんて、今すぐ帰っていきなり受けてもパッとは取れませんって!とめぎは思うし、うちのドイツ人は、ドイツで大学に行くつもりなら日本でセンター試験受けてきたって何にもならない、ドイツの高校卒業生が当然知っている一般常識知識も無く、議論の仕方、レポートの書き方も知らず、そもそもドイツ語の語彙も足らず、読み書きも不自由なのに、この上さらに日本で日本語で日本の試験だなんて、それなら日本で大学へ行くのが道理、ドイツにいるならドイツが提供していることをすべき、とものすごく理性的なご意見。しかし、最短の道を進みたい息子は父親の意見など聞いてはいなかった。

さて、このとき、ふとめぎは気がついたのだった。そういえばセンター試験って、出願期間が早かったよね・・・いつだっけ?で、話を聞きながらスマホでセンター試験の検索をしてみてみたら・・・来年1月のセンター試験の申し込みは10月7日までで、とっくに終わっていた!

Das ist schlecht... これが、めぎがその旨言ったときの息子の第一声。「それは不味い。」

そうね。でもあなた、出願期間も調べずに日本へ受けに帰るつもりだったの?とはもう言わなかったけど。一事が万事、事前に調べると言うことを一切しないのだから、そんなことはもう分かってるし、今更そこを責めたってどうにもならない。正直なところ、このこと言わないでおいてさっさと帰国させちゃえば楽だったのだが、流石に教育者としてはめぎにはそんなことは出来ない。さて、どうする?

そんなわけで、センター試験62%は全くもって「最短」ではなくなり・・・次の出願で試験を受けてその結果が62%以上かどうかが分かるのは2018年の4月で、その証明で大学に登録できるのは2018年の秋なのだから、これから2年かかる訳だ・・・次の「最短」手段は、日本でどこかの大学の入試を受けてその大学の学生になること(その大学に1~2年在籍しなければならないのだとか)。日本の大学なら、日本の高校の卒業資格証明を何かの単位が足りないと言ってはねることは無いだろうし、まあ入試も色々、大学も色々だから、彼が入れる大学もあるのではと思う。しかし、日本の大学に2年も在籍するのなら、そこからドイツに転学する必要はないんじゃない?日本で卒業すれば良いんじゃないの?・・・いや、まあ、転学したければすればいいし、大学生として来るなら寮もあるし、奨学金もあるし、彼の好きなようにすればいいのだけどね。

で、どうする?

しばらく考える・・・だって、どの学部に行きたいかまだわかんないし・・・

そうね、彼はどっちにしろやりたいことも勉強したいものも全然決まって無くて、なんだかんだ言いつつ、結局は日本の入試だって受けないのかも。こうして考えているうちにそれこそ3年などあっという間に過ぎていくんじゃないかな。そもそも彼にはどうしてもドイツでしたいことがある訳でもなく、ドイツの方がたぶん簡単に教育なり研修なり受けられて、適当に生きられるだろうと思って来たのであって、それがどんでん返しでドイツでもそうおいそれと簡単にはいかないのだ、日本での方がすぐにでも大学生になれるのだ、と言うことが分かり、避けたかった入試が必然となり、今や八方塞がりになってしまったということなのだろうな。

しかし、こんな訳で、身体はドイツにいるのに考えることは日本のことばかり。日本のどの大学のどの学部を受けるか、どの教科が必要か、レベルはどのくらいか・・・赤本などを見たくてもここには無いし、そもそもドイツ語の試験は赤本に載ってないし(彼は英語の代わりにドイツ語を受験しようと考えているようだ)、どうしよう・・・等々と、これじゃ何のためにドイツにいるのか全く分からないのだが、今の彼の頭の中は日本の入試のことでいっぱいだ。ドイツ語の試験をやっている大学に日本まで電話をかけてその試験問題を売っているかどうか問い合わせたりもしたらしいが、答えはNOだったとか。ドイツ語はともかくその他の教科のために、日本で入試を受けるつもりなら今すぐにでも帰国して予備校にでも通うべきなのだが、そうは決断できないし(どんな問題で受かるレベルかどうかも分からないのに日本へは帰りたくない)、入試はやっぱり大変そうだし、そもそもそんなに何年も勉強なんてしたくないし、やっぱり職業訓練受けた方がいいんだろうか・・・なんだかふりだしに戻っちゃったなぁ、でもドイツでたいした収入にならない職業訓練を受けるよりは日本で大学生になった方が良い人生が待っているんじゃないのかなあ、どうしようかなあ・・・などと堂々巡りして日々が過ぎていく。

そうこうして結局何も決まらないまま2週間が過ぎた。うちのドイツ人は、この鬱&トラウマに浸ったままの息子が何らかのまともな決断を下したり重い腰を上げて何らかの行動が起こせるようになるには、これまでのとんでもない人生・・・特に、11歳の時に突然日本へ連れ去られてそれから5年間父親との接触を断たれたこと・・・で受けた心の傷のケアがまず必要とカウンセリングの予約をし、それに通うことがドイツに留まる第一条件と言い切った。折しもようやく家族健康保険証が届き、精神療法の専門医にかかることも出来るようになったのだ。そしてさらに、家族でどうやってこの青年を支えていくか、どんなケアサービスがあるかを聞くために、青少年育成センターのようなところに相談に行くことにした。

ハッキリ言えば、さっさと日本へ帰ってくれて入試でも何でもやってくれれば、めぎとしてはどんなに気楽か分からない。一方で、この青年がこれで現実を投げ出して日本へ戻ったら、たぶんこの青年の人生は終わりというか、日本の母親の元でニートになることはほぼ間違いない。だいたい、こう言っては悪いけど、こんな状態で入試などうまくいくはずもないのだ。この青年が自分の足で立てるようになるには、ドイツに踏みとどまった方がチャンスは大きく、喜ばしいことなのだ・・・それが分かるだけに、めぎにはものすごい葛藤がある。もしこの青年が無意識にも自分のこの状況を克服したくてドイツに来たのだとしたら・・・そして、だからこそ、未だドイツに踏みとどまっているのだとしたら、それを実現させてやれるように導くのがこちらの役割なのよね。でも、そのために精神療法を受けさせるのだとしたら、そして独り立ちできるところまで教育を施すとしたら、向こう5年はこの青年がここにいることになる。ま、まじですかぁ・・・はぁぁぁ・・・
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そうこうしているうちに、ジビエの季節になった。これは鴨のロースト。切っているのはうちのドイツ人の息子。
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ああ、冬の香り、冬の味。そして、写真も冬の色ね。
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これは一週間前の土曜日。漬け物や鯛の昆布締めなどはめぎの日本土産。蓋で見えてないけど、タラコも。
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この日のメインは鶏もものロースト。ちょっとぼけちゃったけど。
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この頃から息子は夕食にも長居をしなくなった。自分の将来のことをあれこれ言われるのが嫌なようで、一日全く寄りつかず、夕食にだけ現れてささっと食べ、デザートを要らないと言って部屋にすぐ戻っていく(めぎ家はアパートの4階にあり、息子の部屋は2階にある)。うちのドイツ人がせっかくカリンのコンポートを作ったのに、それはめぎと2人だけで食べた。
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次の日の日曜日のブランチ。このときは息子はゆで卵しか食べなかった。ドイツのハムもイタリアのサラミソーセージも塩が利きすぎてて美味しくないのだそう。
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このターフェルシュピッツ(牛肉の煮込み)の日は・・・
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ヨーロッパの戦争中と戦後の歴史の話になって、あれこれ知らないことを質問して長居した割には自分の将来の話にはならずに済んだが、歴史が家族の話に及んで母方の祖母のことを訊ねられて一気に機嫌を損ね(母方のことは一切話したがらない)、またもや気まずく終わった。
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次の日、この鱈のムニエルを食べながら、息子はめぎとは機嫌良くあれこれ話して、食べ終わるとさくっと部屋に戻っていった。
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そう、多くの方々の心配とめぎ自身の想像とは全く反対に、うちのドイツ人の息子はめぎとは割と普通に話すのだ。日本の奨学金のことを聞きに来たり、入試のことを聞きに来たり、北海道のことを訊ねてきたり。彼の嫌なテーマに話が及んでも、間違いを指摘されても、意外とめぎの言葉には素直に頷く彼。血がつながっていない分、気楽なのか。日本のことを知っている人がいるというのが意外と安心感になっているのか。少なくとも彼は、めぎを通して自分の知らなかった日本の別の面を知るようになり、それで生まれて初めてほんの少しずつ世界が広がっていっているようにさえ見受けられる。彼の世界には今までパパとママしかなかったのだ。なにしろ友達だっていないのだから。20歳になって初めて、身近な大人を通して一つ広がった世界・・・めぎは現在のところ幼稚園の先生のような存在なのかも知れない。それが今後どう変化していくのだろうか。彼もめぎのように少しずつでもドイツに自分の足で立つことが出来るようになるのだろうか。または、日本でも母親の世界から飛び出して自分の世界を見出すことが出来るのだろうか。

さて、この週末には、行きたいところがあれば土曜日の午前中ちょっとドライブしよう、特に無ければフリマに自転車を買いに行こう、とうちのドイツ人が一週間くらい前に提案していたのだが、金曜日のこのパスタを食べた日、食べ終わった息子は言った・・・明日はフランクフルトに行きたいんだけど。
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ふ、ふらんくふるとぉ~~~~!?日帰りドライブで!?(←めぎの内心の叫び)

うちのドイツ人: それは遠すぎる。
息子: どのくらい?
うちのドイツ人: 250kmくらいだ。
息子: アウトバーンで行けばすぐだ。
うちのドイツ人: お前の言っていることは、東京に来た人間に築地や鎌倉を見せようと思っていたところ、長野に行きたいと言われたようなのと同じだ。まずは築地や鎌倉から見るべきだし、長野日帰りは慌ただしすぎる。
めぎ: いや、でも、一日に何都市も回る日本人の旅行的に考えれば、まあ250kmのドライブはあり得るかも・・・でもドイツ人的にはちょっと、別の州まで日帰りの旅をするというのは、ね、(助け船のつもり)
うちのドイツ人: 息子は旅行者じゃない。
息子: じゃ、明日までまた考える。
うちのドイツ人: どこかへ行きたいなら出発は9時だぞ。
息子: おやすみ。

次の日、もちろん息子は9時には起きてこなかった。フリマへも行かなかった。フランクフルトに行くと言うことなら起きたのかも知れないが。なんとなく、行きたいと希望を言ったところに行かせてあげたかった気がめぎはするのだが、うちのドイツ人の予定ではお昼過ぎには帰ってくるつもりだったので、9時に出て11時半について、すぐにとんぼ返り?予定変更しても、2時間くらい滞在してすぐに帰宅?それじゃフランクフルトで何が見られるの?行く意味がない、となる訳だ。いや、そもそも、息子には特に見たいものがある訳ではなく、フランクフルトという街は有名だから一度そこに行ってみたい、というだけなのだが。本当に見たいものがあれば、そんな無茶な提案などせずにしっかり計画を立てるだろう。

息子は夕食まで全く姿を見せなかった。土曜日の夕食は毎週同じく、6時からのサッカーニュースを見ながら。そのサッカーニュースは毎週同じく、3部リーグの結果から。もう2か月もそれを繰り返しているのに、息子は毎週するのと全く同じ質問「これ、何部リーグ?」を放ち、めぎに「3部だよ」と言われ、「ふーん」。数週間前まではうちのドイツ人が「毎週同じだぞ」と突っ込んでいたが、この日はもう何も言わなかった。息子は後は黙って食べ、あっという間に食べ終わって「それじゃおやすみ」と部屋に戻っていった・・・この日の夕食のメインは10月最初の土曜日と同じく手羽先で、後はトルコ風ピラフとめぎの用意した浅漬けなど。
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そして次の日、日曜日のブランチ。マウスを見終わってからうちのドイツ人が現在の進捗状況を訊ねると、やっぱり息子の思考は日本での入試に留まっていて、ドイツ語の入試レベルが分からないという。唯一ネットで見つけた2002年のどこかの大学の入試問題には解答が付いていないからレベルもワカラナイとも。父親「ドイツ語なら自分がまるつけしてあげよう」、息子「できないよ」、父親「どうして?」、息子「問題は日本語だし、訳も日本語で書かなきゃならないから」・・・憮然とするうちのドイツ人。そうなのよね~日本の外国語の試験って、出題は日本語で、日本語訳を書かせたりするのよね。かたや、ドイツの高校卒業試験兼大学入学資格試験は、外国語はその外国語で出題し、その外国語でテキストの要約や作文を書くものなのよね・・・めぎがまるつけすることも可能なのだけど、息子はめぎにもそれは見せたくない。たぶん、どれだけ出来ないかを見られるのが恥ずかしいのだろう。で、めぎが助け船。「日本の独検の過去問なら持ってるよ~解答も載ってるしし、入試はそれの2級くらいのレベルだと思うから、やってみる?」「うん・・・ありがとう」
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たぶんこちらが何もプッシュしなければ、こうして毎日食事にだけ現れて、あとは何もせずに一日過ごすニートになるのだろう。それを避けるためには、非常にしんどいことだが、この青年にあれこれ促してのろのろでも何かをさせなければならない。亀の歩みでも、ここまで2か月プッシュしてプッシュして、ここまで道を絞らせ、決断を迫る努力をしてきたのだ。日本で入試か、ドイツで精神療法と何らかの訓練か研修か教育か・・・まだずいぶん大雑把だけど、それでも入試かセンター試験か3年学校か大学を諦めるかという具体的な道筋が4択にまで定まったのである。どれもしんどいことばかりね。日本では何もしなくても中学も高校も卒業させてもらえたから、結局は何もしなくてもなんとかなるんだと言うことしか学んでなくて、今も最短の簡単な道を必死に探し続けている彼。受かりそうな大学が見つかったら、日本にさくっと帰るかも。または、精神療法が早々に功を奏して、踏みとどまって独立までの5年間が待っているのかしら・・・

少なくともこの青年は3年前と違って、「ありがとう」と言えるようになったのだ。めぎはそこに、彼の成長の可能性を信じたい。
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撮影: D600 + 35mm(F1.8)
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札幌駅など [2016年秋 日本の旅]

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現在、10月中旬の日本の話を連載中。

ここは札幌駅。
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写真講座の初日はサラリーマンが仕事の後に来られる夜の時間帯。2時間の講座が終わった後に、会場近くの札幌駅を写してみたのだった。と言っても、気合い入れてではなく、ISOを上げて手持ちで出来る範囲で。
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めぎには馴染みのない新しい札幌駅の前にはガラス張りのアトリウムのようなものが。中に入ってみた。
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これはきっとあの大通の地下から地上へ上がる階段のところと同じ人のデザインなんだろうな。
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ここで下の通路を歩く人と階段を上がる人と映り込みの写真をかなりたくさん撮ったが、どれもあまりピンと来なかった。これは階段に人がいないバージョン。たぶん、もっとスローシャッターで、色合いも変えて写せばいいのだろうが、このときは三脚持ってなかったし。
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そして次の日、一日バスで撮影実習の旅をしてきて、これは先日も載せた解散後。
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反対側、つまり駅前はこんな感じ。あの真ん中のビルが、前日夜の説明会場。日没の最後の光が綺麗だな・・・
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そう思ってちょっと急いで近くの旧北海道庁に向かってみたが、すっかり影になっていたので撮影は無し。この日は札幌最終日だったので、両親との夕食をゆっくり楽しむために撮影はこれで切り上げてさくっと実家へ戻ったのだった。

撮影: D600 + 35mm(F1.8)、D600 + 24-70mm(F2.8)


♪ おまけ ♪

これは10月27日18時50分頃のデュッセルドルフの空。9月にドイツで受けた写真講座でフラッシュの使い方を勉強し、こんな撮影も可能になった。そのうちにはめぎも、別売りフラッシュとか、横からライトとか、レフ板とか、色々使うようになるのかも。
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本日10月30日から冬時間。ということは、↑この空が一気に17時50分の空になる。ということは、めぎが授業を終える18時15分には真っ暗になるということ・・・ああ、いよいよ、辛い時期が始まるんだなあ・・・
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札幌テレビ塔と紅葉 [2016年秋 日本の旅]

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現在、10月中旬の日本の話を連載中。

ここは札幌、大通公園。長いストリートのような公園の端には札幌のシンボル、テレビ塔。
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ちょうど綺麗に紅葉していたので、テレビ塔と紅葉を撮ろうとしたが、35mm単焦点ではどうもイマイチ上手く入らなかった。
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縦にしてみたりもしたけれど、どれもイマイチ。
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↑右側の写真は市役所と最後の一葉のような紅葉。ちょうどここにいたおじさんが、市役所とこの最後の紅葉を一緒に撮ってみたら、と薦めてくれたのだが、どうもイマイチで、そのおじさんをガッカリさせちゃった・・・めぎも、ここでこんなに四苦八苦するとは思っていなかったんだけどね・・・望遠も持ってきて、圧縮すればもっと様になったかも知れないなあ。広角で近づいて仰いで撮るというのも良さそうだけど、この紅葉は高いところにあるので近づけないしね。

近くには写生スケッチしている人もいた。
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そんなに寒くもなくて、ベンチに座ってのんびり過ごすことも出来るくらい。だからめぎもあれこれゆっくり撮ることが出来て、ラッキーだったな~
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これは札幌の老舗デパート。これは変わらずにここにあったけど、横断幕には中国語。日本は本当に変わったわね。いや、世界は本当に変わってきたわね。
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テレビ塔を下から仰いで撮ろうと思ってやってきたのだが、それもどうもイマイチに終わった。
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かえってこういう映り込みの方が面白かった。その割にはあまり追い込んでなくて、適当な撮影だけど。
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このあと母に頼まれたお茶菓子を買って、また実家に戻った。
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撮影: D600 + 35mm(F1.8)
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